私と友人は似た者同士、わかっちゃいるけどやめられない
昨日は友人の引っ越し日でした。
上京後に知り合った友人とはもう30年以上のつき合いで、
その間、何度となく引っ越しに都度立ち会ってきたのですが、今回は私の体調不良で手伝えず心配でした。
友人が一人暮らしにもかかわらず住居の広さにこだわるのは家具が多いからで、私は引っ越しの都度その家具や家電がボコボコになるのを見てきました.笑
務めていた頃は引っ越し費用は全て会社持ちなので、請け負うのは誰もが知る有名な業者ばかり、梱包も運搬も一切おまかせ。
にもかかわらず、キズがついた、扉が開かなくなった、テレビの画面が割れたとか、無事で済んだことは一度もありません。
そんな業者も業者ですが、とにかく家具が多い、大きいのと高価なのとで作業の緊張が続かないんじゃないかと私は思っているんですが。
例えば、サイドボードが大きすぎてドアから入れられず、吊るして窓から入れたとか。
私からすれば終の棲家でもないのに、なんでそんなデカイ家具を買うかな?といつも疑問なのですが、
好きな家具に囲まれて暮らすのが友人にとっては生きがい、癒しなので譲れないようです。
かく言う私も老後は家賃を下げなきゃいけないとわかっていても言い訳をして都内に住むことにこだわっているので口にしたことはありません。
確かにこだわり選び抜いた家具はどれも素敵で友人のセンスの良さを感じさせ、部屋に遊びに行けばサロンのような優雅な空間は居心地が良いです。
でもしょせん、物は物、永久に生きられない以上、いつかは処分しなきゃいけないのに、どうすんだよ?心の中で突っ込んでいましたが、
この後に及んでも、郊外のUR賃貸9万円に引っ越しする、リビングは13畳、とうれしそうに語る友人にやっぱり死ぬまで治らないんだと思いました.笑
そんな友人が私をドキっとさせたひと言
母以外に血の繋がりがあるのはあてに出来ないきょうだいひとりの私と違って、友人には上にきょうだいがいて、甥や姪もいるので老後はある程度託せるはずなのですが、
それでもお互い一人暮らし、周囲に迷惑をかけずなんとか暮らして終えたいよね、といつも話すのですが、元気なうちはまだしも、最後になったら(病気になって動けなくなったら)その後はどうする?という話題になった時、
何とも答えようのない私に対し、友人は「献体しようと思ってる」と言って、私はドキっとしました。
無職の時に部屋を借りようとしたり、クレジットカードを作ろうとしたり、年上なのにどこか世間知らずな一面があるのですが、その時ばかりは驚いたのと本当に誰もあてにするつもりはないという覚悟を感じました。
ある時期に来たら身ぎれいにして最後の最後にそういう意思表示をすれば、終えた後も誰の手を煩わせることはないと考えたのでしょう。
私は友人に言われるまで「献体」なんて考えたこともありませんでした。
まあ死んだ後のことはそういう選択もあるかもしれませんが、その手前までは生活してるわけで家財の処分なり後始末は誰か、もしくは団体とかに託しておかなきゃいけなんだろうと思います。
理想としては同じような境遇のおひとり様が集まって、お互い様で順送りみたいに出来るのが良いんでしょうけど、たぶん難しいような気がします。