【生きてる、生きている】私がその番組を見なくなったわけ

2025年4月15日火曜日

日記

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どこか頭の隅にあることはいつかは繋がる

どう説明していいかわからず↑、思えば叶うともちがうんですが、なんとなく気にかけて頭の隅にあることは、点がいつか線になる、って感じです。

前記事で「サンサーラ」の作曲の逸話を調べた時に(作詞した)味谷氏が俳優の榎木孝明さんのロケに同行してインドへ行った時のことだと知り、あっ、と思い出したのです。

当時榎木孝明さんのインドロケのインタビューを見たことがあって「スタッフもみんなお腹を壊して大変な中、自分だけは何ともなくガンジス川で沐浴しても平気だった」「自分は前世はインド人だったと言われたことがある(確かにインドの人っぽい顔立ち)」

そんなことを語っていた場面がずっと記憶に残っていたのです(前世がインド人発言はちょっと記憶が不確かですが)

そうかその時のロケであの「サンサーラ」が出来たのかと、点と点が繋がったような気がしました。

あと、訂正ですが、

「沐浴する人々と遺灰が流される生と死が混濁したガンジス川」を目にして歌詞が出来上がったのだろう、と書いたのですが、実際はそういう茶色い川ではなく

ガンジス河源流近くの澄み切った川幅も狭い山間部にロケハンに行った時に生まれたもの』だそうです。


私の想像力と妄想が暴走してしまいました.苦笑

ご自身の体調の悪さに死を意識した瞬間にこの歌詞とメロディーが一気に押し寄せて(降りて)きたのだそうです。

好きだったが、なんとなく冷めてしまった

「ザ・ノンフィクション」は、始まった当初から好きで毎週見ていました。日曜日の午後2時の放送、見られない時はビデオに録画して。それくらい大好きな番組でした。

ある時その番組に同じ職場の人が出ていたのです(主演ではない)

で、翌日見たよと話しかけたら、そこまで放映されるとは思っていなかった、みたいな認識の違いがあったらしく、抗議しようかどうしようか迷ってるようなことを聞いたんです。

お互いどういう了解で、どこまでの約束なのかはわかりません。職場のその人が言ってる通りなのかもわかりません。

ただそれを聞いた時に、今までのノンフィクション熱がなんとなく冷めてしまったのです。

現実は思うような成り行きになるとは限らないし、内容にインパクトを持たせるためには演出もあるかもしれないし、それが作為的なのかどうか見てるこちら側にはわからない・・・・

ニュースの記事だって書いてる人の主観が入るわけで、事実はひとつなのに表現や切り取り方によっては、伝わり方も違ってくるかもしれない。

今でも「ザ・ノンフィクション」の、あの家族はあの人はどうしているのだろうと気なるエピソードはいくつもあって、もしそこに作為的な演出があったとしたらショックです。無かった、と思いたいし、あったとしてもエピソードの全てがそうだとは思いたくないです。

まあわかりませんけどね。それ以来「ザ・ノンフィクション」は見てないです。


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kiraです、60代都内ひとり暮らし、老後資金を増やすためフルタイムで勤務中。2021年から投資信託(NISA)にもチャレンジしています。
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